七五三の衣装

オバのお孫さんが今年七五三で、我が娘の衣装を借りたいという申し出があった。え・そんなもの何処にしまったかなあ???下の娘の使った後、妹の娘に貸してあげたはず。(っていうか母が勝手に貸してあげたと思う。)だから、私は何処にしまってあるかしらな~い。

だいたい、マイマザーは、自分が買って、挙げた物は、自分の手を離れた後も、自分の物のように扱う人だった。挙げてしまった後は、自分の物じゃないんだよ。と私は思うんだけど。この七五三の衣装も、私の嫁入り支度の品々も、子どもたちに買ってくれたいろいろなモノも、ぜ~んぶ、自分の物だと思っていた。子どもが成長し、要らなくなった物を捨てても機嫌が悪かったし。上物を普段に使っていると、もったいない、と苦情があったし。ムシするとある日忽然と私のタンスから消えているし。

それで、この七五三の着物も「孫の着物をかしてあげるし、買わんとき。」とオバに言っていたらしい。

もう家捜しですわ。広くもない家ですが、探すとなると大変。結局、着物本体はな・なんと私の和箪笥から出現。小物類は奥の間の袋戸棚から出現。・・・疲れました。それをひとまとめにして、送ってあげたところ・・・・

「孫が気に入らないって言うので・・・ごめんね手間かけて」と送り返されてきた。大変恐縮されていたが、私は全然気にしないからいいのに。

それよりも、私は、「この着物イヤ」って言えた孫さんに拍手を送りたい。そして、それ以上に、お嫁さんにも・・・義理母さんが用意した着物を娘がイヤといった、それを正直に義理母さんに伝えた・・・・拍手喝采ものだ。

私にはできなかったもの。いろんな場面で我が娘はおばあちゃん(=マイマザー)のいう通りにしたがらなかった。でもそのたび、私は、母の機嫌が悪くなるのを恐れて、娘たちに「そんなこというもんではありません。」と言ってきてしまった。

ごめんよ。娘たち。

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いいひと、をやめる

何日か、前の新聞で読んだこと。新聞といっても、読者の投稿コーナー。しかも、お笑い系。

「継続は力なり」だったかの題で、新婚当初夫さんに「俺は6時半には晩飯ができていないと困る」と言われた。仕事をしている著者は物理的に無理なので「6時半に食べたかったら、自分で料理してね。」と言い続けウン十年。先日タマに早く帰宅したので6時半に夕食の準備ができた。そしたら夫さんは「ワシは9時過ぎに晩飯は食べることにしている」といった。

・・とまあこんな内容。本題とはずれるが、この「6時半に食べたかったら、自分で料理してね。」と切り返したところが、ステキ!!!私は、なかなかこういう考えができない。私だったら仕事が終わるや飛んで帰って、6時半に間に合うように最大限の努力をする・・・いやしただろう。(過去形にしたのは、私も最近は自己改革して、こういう考え方にきりかえているから)

そういう「いいひと」でいなければならない、という強迫観念があった。「いい娘」、「いい嫁」「いい妻」「いい母親」・・・いい人でいるのは結構疲れた。

しかし、いいひとでいると、他人にとって「都合のいい人」になってしまう危険性があるのだ。「継続は力なり」の著者も、もし、私のように理不尽な要求にこたえるべく努力していたとしても、ちょっと遅れたり、会議など定時に帰れない理由で遅くなったら、夫さんに文句を言われることだろう。してもらって当たり前、になってしまうのだ。

先日、私もおじいちゃんに言いました。

「あそこがきたない。ここが汚い。金儲けも大事かしらんが、家の中もきれいにしてくれ。」

「ごめんね~。これでも頑張ってるんやけど。おじいちゃん、気がついたら自分でやってね。」

夫にも言いました。

「このシャツ、アイロン掛かってるの?」

「うん、かけたよ。」

「これ見てみ。これでかけてあるの?」

「うん、かけたよ。でも、へたくそやねん。もし、それで気に入らなければ自分でかけてね。」

何もかも背負い込まなくなって、楽ちーん。

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崖の上のポニョ

水曜日は近所の映画館のレディスデイで、1000円で映画が見られる。下の娘と、何かと話題の表題作品を鑑賞してきた。夏休みとあって、宮崎アニメとあって、子ども連れが多かった。

コンピュータグラフィックは使わず全て手がきのアニメなのだと娘が教えてくれた。コンピュータで描くときっとスッキリしすぎるだろうな。手っ取り早いけど。

インドネシアのバティックもてがきに味があるのは、1つとして同じ線はないから。アニメも、ちょっとした線のぶれがスッキリしすぎず、暖かみとなって、現われているんだろうな。

私もポニョのように、まっすぐな子ども時代を過ごせればよかった。お母さんが悲しむから、とか、怒られるかもしれない・・・とか、そんなことを気にして、自分の気持ちはどうなのかを第一優先にしてこなかった小さかったころの私。

それだけに、私のインドネシア行きは快挙であった。周りは「は?」状態だったけど、「私の人生よ。ナンカ文句ある?」(=何の映画の台詞だったろう?)す===っとした。私がいなくても、世界はまわるのだ。

そうそう、おもしろかったのは、前作の「・・・動く城」を見た人しかわかんない、・・・・・なこと。それから、ポニョのお母さんの声が「あ・あの人の声」ってすぐにわかってしまった。

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あらどの会

インドネシアに行く前の私のライフワーク・・・文庫活動(活動15年)とあらどの会(活動1年)の運営。

後継者にお願いしてバンドンに行ってしまった。3年して戻ってみると、文庫はしっかり根付いていた。あらどの会は解散状態。ヤッパ。15年と1年の差がでたなあ。

文庫は順調にいっているようなので、私はあらどの会に集中することにした。

別に以前のメンバーさんが、もうあらどの会は必要ない様なら、固執する必要はないし、私は、アドラーギルドに行ったり各地の勉強会に参加するだけのこと。

ちなみに、「あらどの会」のココロは・・・

何か困ったことが起こって「あらどうしましょう」となったときのための「あらど」。そして、モチ論、「あどらー」に掛けています。

今日は、ちょっぴり遠方のお友だち2人に来てもらい、あらどの会のメンバーさんにも声を掛け、お茶会を催した。合計5人の会でしたが、ゆっくりお話しできてよかったです~

お名前と、最近合った嬉しい出来事をお話しして、自己紹介。

その後、最近何か「あらどうしましょ」はありましたか?の問いかけに、メンバーさんから出た話題は・・・

「中2のお姉ちゃんがお父さんを嫌って・・・私にできることは・・・?」とのこと。

アドラー心理学では、「AとBの関係に私は口出しできない」と勉強していたので、私は何も言っていないんですが・・・とのこと。ソレってスゴイよね。もし勉強していなかったら、「お父さん、もう言わんとき、嫌がってやるヤン。」とか「○ちゃん、お父さんのいわはること聞かなあかんやろ」なーんて、イッパンピープルと同じ泥沼にはまっていたかも。

今日はARWのやり方を一部取り入れつつ、パセージに戻って検討してみました。ARWの手法とは、パーソナルストレングスを話の中に入れる、広いから狭いに徐々に絞っていく、その際開いた質問を中心に質問のみで絞り込んでいく、ある程度絞り込んだところである日の出来事を聞く、願いを聞く、そのためにできることを考える、できることをみんなで練習する。

最終的に、お父さんと○ちゃんのことで話し合うことを希望されました。それで、お父さん役、お母さん役になりあいっこして練習してみました。その際、お父さんは○ちゃんに教えようとしてくれたり、いいモデルになってくれたりしていて、感謝していることを伝える。・・・この部分お父さんになって聞いていた私は「うれし~」かったです。

「俺はいつも○がちゃんとした大人になるために注意してる。ケーキを買ってきたときは一番に○に声かけて選ばしてやっている。ソレなのに○は俺のこと嫌っている様だ。返事しないときもある。」と寂しかったけど、お母さんはちゃんとわかってくれていたんやなあ。○もココロの中ではわかってるって言うし・・・

って感じ。

うまくいくといいね。

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いっこさんの講演会

いっこさんの子育て講演会に行って来ました。児童館にいた頃は何度か講演しに来てもらいました。

「おなかの中に赤ちゃんが居たとき、どんなことに気をつけましたか?」とか、「じゃあ、おかあさん、赤ちゃんに手が生えた時わかりましたか?目ができたときは?」「わかりませ~ん」「え・あなたの子どもですよ」・・そうですよね、おかあさんができたのは、こけないように気をつけたり、栄養のあるものを食べたり、好い音楽を聴いたり・・・だけですよね。手を造るのも、目をつくるのも直接にはできませんよね。赤ちゃんが自分の力で造っていくんですよね。まだ小さいからって、おかあさんが代りにしてあげることはできないんですよね。

そして必ず聞かれるのが「どんな子どもになってもらいたいですか?」

いつ聞いても、楽しみながら、ハッと気付かせてもらうことがあった。

今回は少し切り口をかえたお話だった。

いっこさんの事例は全て本当にあったことだ。目の前であったことを再現して話してくれるから伝わってくる(=もちろんおかあさんの許可をもらってね)。

今日のテーマは「まかせる育児、話し合う育児」。今日の事例の1つは、やんちゃな子におもちゃを取られた子にどう接するか。

入園前の体験保育の時(=いっこさんは少人数で理想の保育を行うNPOちっちをたちあげておられる)、「おかあちゃーん、おもちゃとられた~」「お母ちゃん、一緒に行って~」と泣いてばかりの我が子に「もうっそんなに泣いてばっかりやねやったら帰るで!」と本当に帰りかけたおかあさんがいた。デモ、ベテランいっこさんはちゃんとわかっている。おかあさんは怒っているように見えるけど、本当は、「不安」なんだ。他の子どもさんは元気にみんなと遊んでいるのに、我が子は泣いてばかりでみんなと遊べない、こんなんで入園後やっていけるのだろうか・・・

こんな時のアドレリアン的対応は・・・

「おもちゃとられたー」「そっかー、○ちゃんはどうしたい?(=開いた質問)」

「かえしてほし~」「じゃあ、どうしたらいいと思う?(=開いた質問)」

「返してって言うー」「そうか、じゃあ返してってたのんでみようか」

・・・

「あかんっていわはったー」「じゃあ、どうしたらいいと思う?(=開いた質問)」

「・・・  ・・・  ・・・これと換えことしてもらうー」「じゃあ、かえことしてもらおうか」

・・・

「あかんっていわはったーweep」・・・当然、向こうは「返したら負け」状態になっている。

「えーん、えーん」「ねえ、○ちゃん、見てみ、これおもしろいで、ほら、くるくるくる~!」

「きゃっきゃ、おもしろい、もっとしてー」「くるくるくるー」

「きゃっきゃ」「くるくるくる~」

さっきのおもちゃ横取りした子「かせ!」

sad」「ほらほら、さっきのおもちゃ空いたよ」

開いた質問でいろいろアイデアを子ども自身が出してきました。もし、子どもが「わからへーん」と言ったら、いくつかの選択肢を出してもOKですよね。「返してってたのんでみる?それとも、無理に返せってとりかえすのがいい?それとも、別のおもちゃで遊ぶのがいい?それか、ずーっとないてるのがいい?」「返してって頼んでみるのがいい~」。「~しなさい」はアドラー的じゃないですけど、これなら、問題解決にはいろんな方法があるんだよ、って学んでももらえるし。。最後には、別のおもちゃでごまかしたんではなく、Aがだめなら人生終わりではなく、どうしてもダメならBもあるよ、ということを知らせることもできました。「泣いてばっかりやったら帰るで」では学べなかったことですね。

講演会の後は、スタッフ(?)でお茶をしました。いっこさんは明日は名古屋でお父様の法事なのに、遅くまでつきあってくださいました。お茶会のメンバーは保育士さんと、子育て真っ最中のおかあさんとがほとんどでした。私は子育て真っ最中ではないけれど、アドラー心理学は対人関係全般に使えるので、いろいろ参考になります。

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宗教と心理学

来客の半分・・・とまでは行かないけど、多くの見知らぬ人の訪問がある。朝起き会の勧誘から始まって、エホバの会、創価学会・・・と宗教が多い。

今日のお客様は、「子育ての講演会」のお誘いだった。たいてい、気の毒なくらいけんもほろろのお断りをする私だが、今日のお客さんは、なんとなく思い詰めたような雰囲気のある若いおかあさんだったので、ちょっと話を聞いてみた。

ベースは天理教とのこと。「でも、天理教に入る必要は無く、講演会に参加するだけで良いんです!」と間を入れず付け加えられた。そして、ご自身の体験のお話を、「あんたが講師になれるよ」というくらい一生懸命してくださった。

その体験とは、以前お子さんが登校拒否で悩んでいたとき、講演会に誘って頂き、その通りにしたら1週間で学校に行くようになったのだそうだ。

なにをしたんですか?

先生は、まず、家の中をきれいにしなさいとおっしゃいましたのでその通りにしました。恥ずかしながらそのころ家の中は、掃除をしていなくてごちゃごちゃだったので、掃除を毎日するようにしました。

それから、夫婦仲良くしないといけないと言われました。子どもに問題があるのは家庭に問題があるのだから、やっぱり、家をきれいにして、夫婦仲良くしないとダメだということを、とてもわかりやすくお話ししてくださいました。

とのこと。

良かったですね。でもせっかくですが私は別のことで勉強しているので、まあ、結果として同じようなことをするんですが・・・

と断った。

その女性はいつも散々な断り方をされているのか、「いえ!私の話を聞いてくださって嬉しかったです。べらべらと偉そうにいっぱいしゃべってしまってすいません。」と喜んで帰って行かれた。

彼女の話を聞きながら、「負の注目をしない」を実行したんだな。とおもった。おかあさんが子どもの登校拒否にあたふたしていると、子どもはそれで登校拒否の目的を達成していることになる。だって、登校拒否の目的はたいてい、注目関心引きだもの。おかあさんが、自分のお仕事・・・お掃除に専念することで、登校拒否ばかり考えているヒマがなくなったんだね。

そこは天理教、宗教だから、「学校へ行くか行かないかは子どもの課題です。」とか「負の注目はやめましょう」とか「私のできることは何でしょう」なんてことは言わず「お掃除しましょう」「夫婦仲良くしましょう」になったんだね。まだ「鬼門がよごれてる」とか「先祖の供養をしなさい」・・・これもまあ、負の注目から、関心を別のところに向ける、という意味では正解だけど・・・よかマシだわね。

理屈好き私には、やっぱ科学的なアドラー心理学がピッタリだ。何か悩み事があって相談したのに、掃除しなさい、とか、夫婦仲良くしなさい、とか言われるのって、先祖の供養をしなさいとか、ツボを買いなさい、って言うのと同じくらい、関係ないヤンと思ってしまって、そのアドバイスは受け入れられないだろうなあ・・・

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アドレリアンとして心がけていること

「アドレリアンな毎日」と題しておきながら、アドレリアンな記事は無いこのブログ。しかし見ようによっては全てがアドレリアンな記事とも言える。

この間のアドレリアンの集まりで「アドレリアンとして日々心に留めていることは何ですか?」と考える機会があった。

アドレリアンほかほかの人はたいてい「課題の分離」をぶら下げて生活している。それだけで、職場にせよ、家庭にせよ目に見えるように平和になるからだ。最初はかなり努力しないと他人の人生に口出ししてしまうものだ。未だに私は意識しないといけない。

今朝も、同居の娘はゆっくり寝ている。朝そこそこの時間に起きないのは、私の好むところでない。また、大学に遅刻しないかも気になる。

けれども、私の好みを押しつけてはいけないな。娘の人生は娘がマネジメントしなければね。何時に起きるかは娘の課題だ。大学に遅刻しないよう努力するのは娘のお仕事だ。そう自分に言い聞かせないといけないまだまだひよこな私。

けれども、親として、子どもに世の中に貢献できる人間に育てる、という大切なお仕事があるから、時々は「お話し合い」をしなくては、放任子育てになる。

今朝は10時半に起きてきた。「おはよ~」「おはよ~、今日は何時からなん?」「11半の電車で行く。」そっかー、ちゃんと電車時間に合わせて起きてるんだね。

・・・というぐあい。

あのとき、アドレリアンとして私は「信頼して任す」を心がけていると答えた。「信頼」と「信用」の違いを知ったとき私は衝撃を受けたものだ。

先ほどの娘の事例で行くと「娘は自分で必要な時間に起きる能力があると信頼して任す」という風にもできる。これも、時々は話し合うことは大切だ。

そう考えると「課題の分離」も「信頼して任す」も繋がっているな。

娘がなかなか起きてこないと、イライラしてしまう私。そのたびに「信頼、信頼」と自分に言い聞かせないとダメな私。私は娘が遅刻すると嫌なんだ。ちゃんと大学に行って=私好みの生活をしていないと、何とかしなくちゃ、と思ってしまうんだ。

「はよおきや」「わかってるわ、うるさいなあ」のパターンはなくなりました。

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お食事係を解雇されました

遂に、おじいちゃんから、お食事係を解雇されました。

おじいちゃんは1週間ほど前から、酸素を吸いながら歩いたりリハビリをはじめたんです。ウォーキングマシンは使ってませんけどね。そしたら随分変わってきましたよ。

まず、仏壇にお茶を供えるようになりました。

そして、ご飯も自分で炊くと言い出しました。

毎回、「次はもうちょっと柔らかくたいてくれ」「今日のはおかゆみたいで柔らかすぎ」「もうちょっと量を減らしてくれ」・・・と注文の嵐でした。で。遂に、「しゃーない、自分でしようか。」となったようです。

まだアドラーに出会っていなかった頃は、こういうシチュエーションでは、私は「罪悪感」を感じ(=実は、使い)、自分を責めていました。

今は違います。「わー、おじいちゃん、元気あるう。」「おじいちゃん、能力アップだね!」と喜んでいる私がいる。

なぜ私が「罪悪感」を感じていたか・・・それは自己欺瞞の一種。私は「いい嫁、いい娘」でいなければならない、と思いこんでいたから。「私は、好い娘なんですよ、皆さん。だから、こんなに罪悪感で苦しんでいるんです。」というパフォーマンス。

よぼよぼのおじいちゃんにご飯の用意をさせるなんてかわいそう、世間の人が聞いたらなんて思うかしら。平気な顔をしていたらなんちゅう娘やと思われては困るから、せめて罪悪感を使って困った顔をしていよう。

でも、今はね、

おじいちゃん、がんばってるなあ。嬉しいよ。たすかるわあ。ありがとう。

「アウタダ」のとおりだ。ア・・・ありがとう

ウ・・・うれしいわ

タ・・・たすかるわ

ダ・・・だいすきよ

ちょっと最後のダイスキヨはないけどね。

この言葉がけは、こどもに「ボクがいることでおかあさんが喜んでいるな」「ぼくは世の中の役に立ってるな。」「居場所があるな」というように勇気付けができるという。

これは、ほめる育児、とはまったく異なる育児だ。

ほめられて育った子は、ほめられるために何かをするけど、

勇気付けられて育った子は、世の中の役に立つために何かをする。

ほめられて育った子は何かしたときだけOKだけど、

勇気付けられて育った子は、何もしなかったとしても、じぶんはOK。

子育てだけでなく対人関係全般に使える。

対おじいちゃんの場合、ほめたりしたら「親をばかにしているのか!」怒るだろう。

でも「おじいちゃんがそんな風に頑張ってくれるのって私は嬉しいわあ」というと、「ちょっとでも自分のできることはしないと。動ける間は動いて、おまえに迷惑かけんでもええようになあ。」と返事があった。

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タイトル変更

私は、アドラー心理学のファンである。アドレリアンな人生を送りたいと常々願っている。

 長女が高2、次女が高1、同居の両親がいまいちの健康状態・・・これだけの環境の中で、夫が、海外勤務を希望したいと言い出したときには、オッタマゲーションであった。

彼の言い分はわかる。普通一般に海外勤務を希望する年回り(=子どもが幼稚園から小学校低学年)に、今はなき母が透析をはじめ、私たちと同居を希望してきた。とってもじゃないけど、海外勤務の話など持ち出せる状況ではなかった。言いにくい話だが、「先はそう長くない(=当時透析患者は10年生きられることを目標としていた)。その後で希望しよう。」と言うことになっていたが、その後の透析技術の向上で20年30年生存可能となったのだ。そして、ついに夫の年齢制限のほうが先に来てしまったのだ。

言い分はわかるが、この状況でどうすればいいのか私にはわからなかった。(=海外勤務の申し込みは夫婦同伴赴任が条件)また、私には、「夫は試しているんじゃないか」、とも思えた。もちろん夫の無意識さんがですよ。つまり、「僕をとるか親をとるか」・・・当時夫は他にも不適切な行動があり(=今も?)全ては試されている気がしていた。(=夫はマスオさん)

そんなとき助けてもらったのがアドラー心理学だった。カウンセリングを受け、パセージを受けるよう薦められた。「夫さんの不適切な行動が問題ではなく家族全体の問題。ご両親や夫さんはなかなか変わらないだろうけど、子どもさんはすぐ変わるから、子どもさんをターゲットでアドラーを練習してみませんか?」という助言だった。・・・いや、こっちは急いでるんですけど。とは思ったけれども、行き詰まっていた私はその提案を受けることに。

これが、まあ、また、私に大ヒット。結果として「私は夫の味方でいよう」と決心したのです。また、両親や子どもたちについては「信頼」することを実行しようと決心したのです。子どもたちにお父さんの希望を伝えることについては「家族会議」という手法を練習。パセージでみんなに娘役、夫役などになってもらって、練習させて頂きました。

その後も何度も何度も家族会議を重ね、まだまだ私には「私の思うように家族を動かしたい」癖がありましたが、その都度軌道修正して、バンドン日本人学校赴任にこぎ着けたのでした。

そんなわけで、アドラー心理学は私にとって大切なもの。

それで、これからも日記を続けるとすれば、アドレリアンな日々を綴りたいと、タイトル変更した次第。

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ちょっと不幸な物語

アドラー仲間からいきなりワークのお誘いをいただいた。アドレリアンとして生きたいとはいえ、3年間ほとんど我流で生きていた私。いきなりワークってできるかなあ、と思ったけど、やっぱり行きたい!と、参加してきました。

昨夜、近所の友人と集っておしゃべりに花を咲かせた私。帰宅はモチ午前様(何を自慢しているか?)そこでは、延々と私の「ちょっと不幸な物語」を聞いてもらっていた。みんないい人たちだな。うんうんと私の話を聞き、自分の体験談をもとにアドバイスもしてくれる。そうやって「悪いあの人、かわいそうな私」を聞いてもらうだけでも、ちょっとスッとする。でもこれじゃあアドレリアンとしては・・・だけど。アドレリアンは「悪いあの人、かわいそうな私」を脱出して「この状況で私にできること」をやっていくものだと解釈している。

1日目のワークでは、ペアを組んで、「ちょっと不幸な出来事を物語にして語る」、ペアの人に質問してもらって、よりわかりやすい「ちょっと不幸な物語」に仕上げる。物語とは、ある日のある感情を伴った具体的な出来事、である。

その後、世の中の出来事(私を不幸に追いやった相手や状況)、私のしたこと、私の思ったことにわける。相手のパーソナルストレングスと、私のパーソナルストレングスを探しあう。

このお稽古をふんで、2日目は4人でグループを作り、本格的ワーク。1人が語り手(相談者)、1人が尋ね手(質問を紙に書いて、語り手に渡す)、2人が助け手(尋ね手さんと質問を考える)。

私は「語り手」があたった。「何のお話ですか?」「同居の父と幸せに暮らしたい話です。」

いろいろ尋ねてもらい、「悪い父、かわいそうな私」を一杯話した。尋ね手が質問を紙に書くまでの間、尋ね手と助け手は語り手の目の前で、いろいろ話をする。その時、昨日練習した「パーソナルストレングス」を入れながら話される。それは予想以上に勇気付けられるものだと感じた。しかし前半私は「何とか私のこの不幸を理解してもらおう」と必死でかわいそうな私の話をしていた。毎日ごろごろしていて、食事も上げ膳据え膳。ちょっとでも運動してもらいたいけど「それくらいしてくれてもいいやないか」と言う。このままでは寝たきりになるのではないか。幸せって言うのは、私が自由でいられることだ。父が寝たきりになったら自由でなくなり幸せでなくなる・・・・私の人生はどうなるんだ~

その中の1つとして、私は何日か前、学校図書館司書の仕事を断念したときのことをお話した。話しながら思わず涙ぐんでしまった。これは意外だった。私はもうとっくにやりがいのある仕事に復帰はあきらめたはずなのに・・・このお話をした頃には「ちょっと不幸な物語」がちょっとではなくなってしまっていた。めっちゃ不幸な物語になっていた。

ところがその後アドラーマジックがおこり、どうなったんだかわからないけど・・・

私の幸せがそのような物であるとしたら、それは実現不可能な願いだな。だって、どんなにおじいちゃんが運動したっていつかは寝たきりになるだろうし。

私は今まで、いろんな人に助けてもらってきたなあ。いつだって誰かが助けてくれた。バンドンに行っていた間だって、母が死んで大ピンチの時94歳の叔母が「とにかくかんちるはインドネシアに戻り、かんちる夫の仕事を全うしてきな。その間はこっちにいる者で何とかする。」といってくれた、あのときのことを思い出した。みんなが知恵を出し合って、自分たちのできることで協力してくれた。これからだって、きっとそうだ。なんだか勇気がわいてきた。

今日も夫はお留守番をしてくれている。昨日もだった。昼はインスタントラーメンを食べておいてくれたし。夕べは娘がおじいさんの晩ご飯を用意してくれた。

・・・ちっとも不幸でなくなってきたぞ。

父のお世話は私にしかできない尊いお仕事だ。こんなに私を必要としてくれるお仕事がこの世にあるだろうか?きっとこれが私に割り振られたお仕事なんだな。この状況を受け入れることだな。私にできることはいっぱいありそうだな。

単純な私はるんるん気分になったのでした。助け手さんも尋ね手さんも開いた質問を繰り返しただけです。それなのにちょっと不幸だった私に、勇気がみなぎってしまいました。アドラーマジックです。

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