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大雨

このところ、本格的な雨期らしい雨が振るようになってきた。

雨期らしい雨、とは、バケツをひっくり返したような雨、ってこと。Photo_4

視界ほとんど0。

30分後の景色は・・・

Photo_5 これでも、まだふっているんですがね。

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ルマキタ文庫の想い出1

IC文庫をいっしょに楽しみませんか?

ICBA

International Children`s Bunko Association

国際児童文庫協会

ICBAってなあに?

ICBAは、「すぐれた日本語の本を子どもたちに読み聞かせ、共に楽しむことで日本語の維持・文化への理解を育む」文庫活動を支援する非営利団体です。

 IC文庫ってなあに? IC文庫は、いろいろな文化背景をもった子ども(帰国、駐在、永住、国際結婚など)を対象とした日本語の本による文庫活動です。

 1983年、イギリス人のダン婦人が、言語習得に重要な年齢にある子どもたちが、母国の言語や文化を吸収できない状況に置かれていることにより被る影響を危惧して始められました。ダン婦人は、日本にいたなら当然親しんだであろう、「幼児期に不可欠な要素を、帰国する小学生後半になるまで知らずに過ごしてしまったならば、それは、自国の文化との深刻なギャップを作ってしまっていることになるのです。英国圏のおとなが、マザーグースを知らずに、『あいつは“ハンプティ・ダンプティ”になるのが落ちさ』を理解することができるでしょうか。」と述べています。(とはいえ、今日では日本にいても、「当然親しんだ」なんてことは不可能になってきましたがね・・・)加えて、渡辺鉄太氏(メルボルン子ども文庫・わたなべしげお氏のご子息)は「文庫のミッションには、言葉の維持、文字文化や文学の継承ということもありますが、私は何よりも、子どもたちとその家族のエンパワーメント(生きる力や勇気を与えること)だと思います」と述べています。

 な~んて長々と書いてしまいましたが・・・要は、どなたか一緒に絵本を楽しみませんか~ということでございます~!申し遅れましたが、私、4月にバンドンに参りました、来たてほやほやの、かんちると申します。IC文庫をやりたくて、日本から400冊ほどの絵本を、SAL便で送ってきました。(ウンジュウマンかかりました~(*^_^*))どれも、厳選したリアルブックばかりです。(リアルブックとは、子どもが楽しめるものであり、子どもの心を育むものです。言語習得が目的で作られたものではありません。リアルブックは、作家や画家の文化背景を映し出します。HOME-BUNNKO』よりIC文庫開設の場所は我が家を提供したいと思っています。

 IC文庫に興味をお持ちになられた方!ご連絡頂けると嬉しいです!!!子どもはいないわという方も、絵本や昔話などに興味のある方は、

一緒に楽しみませんか?私も、子どもはバンドンにおりませんの。

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スハルト元大統領

スハルトもと大統領が27日亡くなられた。年明けから体調を崩され入院されていたのだが、インドネシアのメディアは連日様態を詳しく報道していた。ジャカルタ新聞しかりであった。

「スハルト氏をめぐっては不正蓄財疑惑が絶えず、国連と世界銀行は不正蓄財の推定額を150億ドル~350億ドル(1兆6000億円~3兆8000億円)と発表。インドネシアの最高検は昨年7月、不正蓄財の一部返還と損害賠償を求める民事訴訟を起こしている。」のにである。

さすが三十余年政権を握った人物だけあって、未だに国民の信望は厚いように感じられる。

昨日から断続的にスハルノ氏に関する報道が流れている。インドネシアでは一週間国民は喪に服すよう大統領令がでている。

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なんだか忙しい日々

今年に入って、本帰国が決まってから、なんとなく忙しい。ちょっとつかれてるなあ・・・と自分で思う。今日は絶対的休日に徹するぞ!

手帳を見ていたら、ほとんど毎日スケジュールで埋まっていた。多い日は3つも予定が入っているではないか!1月一杯この調子だろう。

スケジュールには載らないが、娘たちの来イも、気ぜわしさに拍車を掛けている。22日、無事下の娘のパスポートが取得出来たと知り、一安心。2月の頭には待ちに待った娘たちの来イ!そして、2月の末に、下の娘の友人とバリで落ち合うことになり、またまた、その計画にいろいろ頭を悩ませている。変身フォト、クルージングの格安はないか、ヒマがあればネットで調べている。レストランも、おなかを壊す確率が低くて、しかし高くはないところ・・・とか。

帰国が近づくと、買い物三昧に陥る人が多いが、今のところその様な兆候は現れていないな、私には。

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ルマ・キタ文庫その2

さてさて、今、問題となっているのは、私の帰国後、このルマ・キタ文庫をどうするか・・・である。私としては、もし、引き継いでやっていきたいという人がいれば、とっても嬉しいことである。けれども、誰かに頼んでまでは引き継いでほしいと思わない。こういったものは、頼まれたから・・・といってそう易々と出来る物ではない。毎月1度家を開放する・・・簡単なようで、なかなかエネルギーのいることである。継続のエネルギーは、瞬発的なエネルギーとは又違った根性が求められる。細々とした問題は次々現れる。

それに、引き継ぎ手を捜すのにそう多くの時間を割きたくない、というのも本音である。

また、幾ら希望する人がいたとしても、引き継いでもらいたくない人もいる。子どもが好きで、絵本に対する知識があり、けれども、教育的すぎないこと。・・・これが、私の最低条件である。

90%、ルマ・キタ文庫を閉じるつもりでいたところ、ICBA本部の方が、ネットで呼びかけてくださったらしい。何件か問い合わせがあり、ちょっぴり引き継ぐ方向で動き掛けている。

まったく、ネットというのは、一瞬で日本もインドネシアも、てん・・・・てん・・・とした存在を結びつけてくれる。すばらしい、と思う。でも、ちょっぴりこわい。今回も、私の全く知らないところで、ルマ・キタの情報が行き来していたのだから・・・

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最後のルマ・キタ文庫

P1020838 バンドン生活で、想い出に残る物の1つが、ルマ・キタ文庫。ICBA(国際子ども文庫協会)のバンドン支部として立ち上げ、月1回の活動をしてきた。そこで、海外で子育てをされている母さん方とともに過ごせた時間は、私にとって宝物だ。

以下は、フジテレビの悟空文庫への感謝の手紙ですが、お母さん方の文庫に対する思いの詰まった、私の宝物です。

ルマ・キタ文庫

はじめまして。インドネシアはバンドンのルマ・キタ文庫です。(ルマ・キタとは、「わたちのおうち」という意味のインドネシア語です。)この度は私たちの文庫にも、大切な絵本を送ってくださり、ありがとうございました。

私たちの住む「バンドン」は、「高原の学園都市」とか「華の街バンドン」、また最近では「インドネシアの軽井沢」とも呼ばれる、ステキな街です。とはいえ、治安の悪さや交通事情により、私たち日本人は、運転手付きのマイカーで、ほとんどドアーツードアの生活を余儀なくされています。子どもたちは、自転車で友だちの家に遊びに行く事は出来ませんし、自由に遊べる公園や、利用できる図書館や児童館などもありません。日本語の本を売っている本屋さんもありません。

そのような環境の中で、ルマ・キタ文庫では、「本のある遊び場」を提供しています。月に1度のペースでお母さんと子どもたちが集って、絵本を読んだり、おしゃべりしたり、カルタや折り紙など簡単な遊びをしたりしています。絵本を何冊も借りて帰る姿も見られます。

海外で生活する子どもたちにとって、また、子育てをするお母さんたちにとって、この度の「悟空文庫」がどんなにありがたい物であったかについて、写真と、お母さん方や子どもたちからの手紙で、伝えさせて頂きます。

<お母さんからの手紙1>

 私は外国人と結婚して海外で子育てしています。子どもには日本語ができるようになってほしいと思っていますし、日本の文化も伝えて行きたいと考えています。子どもに絵本を買ってあげたいと思いますが、物理的にも経済的にも、日本の絵本をたくさん買ってあげることはなかなか難しい状況です。
 文庫に参加して、うちの子ども達はまだまだ小さいですが、日本の絵本に触れたり、私以外の日本人の日本語に触れる機会が得られることは非常にうれしく思っています。
外国に住んでいると、日本に住んでいれば当然できることが、できなかったりすることがあります。日本語の絵本に触れることもその一つです。日本の絵本は種類も多いし、絵もきれいだし、内容もおもしろいし、子どもにとって、とても興味を引かれるものの一つだと思います。
 今回は、日本の皆さんの善意で絵本を送って頂き、ありがとうございました。今後も海外で過ごす子ども達にとって、楽しみの一つになると思います。ありがとうございました。

                                    以上

<お母さんからの手紙2>

インドネシア、バンドンに滞在して14年になります。インドネシア人の主人と3人の子どもたちに囲まれ、充実した毎日を送っております。

家庭内ではインドネシア語、日本語、英語の三ヶ国語が使われ、子どもたちもそれぞれ理解度に差はあるもののごく自然にそれを受け入れています。ただ、物事を端的に言い表すほかの言語と違い、ひとつの言葉にいろいろな意味を持たせる日本語はなかなか理解しづらいようで、話している言葉はわかっても思うように言葉が出てこないようです。

私が子どものころ、母が仕事で遅くなるときは必ず置手紙があり、短い文章でしたが寂しくても十分に母の気持ちが伝わり、暖かい気持ちになったことを今も覚えています。私が母になった今、話すだけでなく同じように手紙で気持ちを伝えたいと思っても、さて、何語で書けばいいのだろうか?やはり日本語で伝えたい、日本語でなければ伝わらないやわらかい言い回しや気持ちを理解してほしいと切実に思いました。日本語を理解することは、単純にそれだけではなく母親の国、日本の文化にも触れることになりますから。

そうした折、ICBAを主催する方よりお誘いをいただき、早速参加させていただきました。同年代の子どもたちやほかのお母さんたちの話す生きた日本語に触れ、子どもたちが一生懸命日本語で話そうとしている様子を見て、どんなにうれしかったことか。日本語の本は読めなくても、絵を見ながら耳で聞いて話を理解しようとしている様子、そばで見ていて参加させてよかったと心より思いました。以前より就寝前には日本語の本を読み聞かせていたのですが、最近は、これはなんと読むのか?この字は、あの本の字と同じだね、とか、字に対する興味もわき始めているようです。これを機会に、自分で日本語を書きたいという意欲につながってくれればと思っています。

すでに日本語を母国語としている子どもたちとは確かにスタートラインが違うかもしれません。しかし、私の子どもたちは生きた日本語に触れて興味を持つ、という第一関門を通過しました。これからゆっくりでも、子どもたちなりのペースで日本語を学んでくれればと思います。これからも、文庫、ぜひ続けさせていただきたいと思います。いつかは子どもが私に読み聞かせてくれることを夢みて。

海外にいると、なかなか新しい日本語の絵本が手に入りにくい状況にあり、手元にあるものを繰り返し読んでいたのが現状でしたが、こうしてたくさんの絵本を贈っていただき、また子どもたちも、新しいお話に想像を膨らませ目を輝かせることと思います。

小さな一冊一冊の本、それが持ち主の手元を離れ、また違う場所で海外で暮らす多くの子どもたちに夢を与えています。とても素敵なことですね。

たくさんの絵本をありがとうございました。

絵本をお送りくださった多くの皆様に感謝して、筆を置きたいと思います。

                                   以上

<おかあさんからの手紙3>

インドネシア・バンドンは今、乾期で良いお天気が続いています。この度、日本の皆様から文庫に大切な本の数々を寄付して頂いたと聞き、感謝の気持ちでいっぱいです。
 私は日本を離れて7年たちます。オーストラリア人の主人と子どもと一緒に2年半前インドネシアにやってきました。日本やオーストラリアと違い、誰もが利用できる図書館やコミニュティーセンターはほとんどなく、ましてや日本の本となると、自分で調達するほかありません。
 でも家で自分達だけで本読みするのと、文庫のように皆で時間を共有するのとでは、違った意味をもってきます。私達親子は本当に文庫に感謝しています。

主人の母は、それこそ30うん年前の、彼らが子どもの時に読んでいた絵本を残してくれていました。いつも子ども達に自分の父親の子ども時分のストーリーもおりまぜ、読み聞かせしてくれます。主人も懐かしがり、子どもに読み聞かせるのを楽しみにして
います。文化、言葉、思い出、ドキドキ・・子どもは色々な物を絵本から吸収しているようです。私も、日本人として、一人の人として、私達の心深くにある事を伝えて行きたいと思っています。絵本が、物語がその手助けをしてくれると思います。
 日本から離れて住む私達を思い、企画、実行してくだすった皆様、本当にありがとうございました。

                                    以上

<お母さんからの手紙4>

「あっ、もこもこもこ!!!」

最初に日本から送られてきた「悟空文庫」を見つけた4歳の息子の第一声です。この本は、日本にいた時にお世話になっていた病院の待合室に置いてあったもので、いつもこの本を手にとって喜んでいたものです。そのお気に入りだった本と久々に対面したので、本当に嬉しそうでした。

その後、読み聞かせをして頂き、自由に遊びまわってた子どもたちが一斉に本の前にやってきて一生懸命話に聞き入ってました。

子どもたちが自由に遊べる公園や児童館もなく、また日本人が少なく子ども同士触れ合う機会もない地では、読み聞かせ自体物珍しいのかもしれません。読み聞かせによって更に絵本の世界に魅せられていった様子です。

ルマ・キタ文庫は、子どもたちにとって新しい発見ができる楽しいところになっているようで、次回の開催を心待ちにして楽しく参加しています。

子どもが3歳と1歳の時に、インドネシアにやってきましたが、母語が形成される重要なこの時期に日本語を身につけられない環境は想像以上です。家の中を日本語だらけにしても、一歩外に出たら色々な言葉が飛び交っています。文字に対する興味も日本なら自然とひらがなが目に入ってきたりする環境があるけど、海外においては文字に対する興味をもたせるだけでも一苦労です。

母語の形成に重要な時期は2~5歳と言われているだけに、日本語の語彙力を増やす事と日本語で考えて行動するといった当たり前のことが身につきにくい現状です。その上、何でも自然に吸収してしまうが故に、自分の表現方法が母語だけに限らず、言いたい事を伝えたいけど、伝える言葉が上手に使えない。日本語は分からなくても、子どもが自分の分かる外国語で伝えようとしてもそれも伝わらない。伝えようとしても伝わらないストレスは子どもにとって相当なものだと感じています。

異国の地で日本語を身につけるのは本当に大変な事と痛感しています。どうしても語彙数が日本で身につけることと比べると少なく、コミュニケーションも円滑にできず、子どもがストレスを感じているようです。

日本人としてのアイデンティティーを身につけさせたくても、慣習の違うところでは困難ですが、ルマ・キタ文庫に参加して他の日本人の方や友達と触れ合う事で、親以外から学んで行くことも多く、また色々な大人の日本語を耳にすることによって、不足しがちな語彙力を補う事が出来る場があるのは、大変喜ばしい事で感謝しています。

子育て中の親にとっては、他の方から色々な話や情報を交換できる場があるだけで、気分も軽くなり、また明日からも頑張ろうと思える場所になっています。公共の施設(児童館&公園、図書館)がないので、公共のルールを教えていくのにも大変この場があることに感謝しています。使ったものは片付ける、譲り合い、本は綺麗に読む&落書きしない。当たり前のことが当たり前でない地なだけに、ルマ・キタ文庫の場で子どもが身につけたことも数多くあります。

また、絵本の世界を通じて物語を想像する力や、書いてある言葉に対する興味がわき、自分の言葉で思いを伝えられるようになってくれればと思っています。友達と一緒に本を読むことで、コミュニケーション能力も高まってくるとも思っています。日本語に触れ合う機会が少ないからこそ、沢山の絵本との出会いを通じて、母語を身につけていけるようサポートしてあげたいと思っています。

何年後かに日本に本帰国して生活する時には、日本語に対するハンディーキャップがなくなっているようにしていきたいです。「日本人の顔をした外国人」ではなく「海外で生活したれっきとした日本人」であるように。

最後になりましたが、日本で眠っている絵本を海外などに送るという「悟空文庫」の活動がこれからも継続される事を願ってやみません。海外に住む子どたちに、これからも絵本によって母語と触れ合う機会が増えていってくれればいいなと願っております。

                 以上

(

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帰国準備:車の査定

帰国準備の大切な事の1つは、車の売却だ。最後の最後にだまされて嫌な想いをしなくてすみますように。

今日は、売却のための査定をしてもらった。

私が来イの時は、持参金に500万円程度用意するよう言われていた。家中かき集めても○ビの我が家はそのような大金はなく、(赴任の準備にお金を湯水のように使っていたしね。新しくパソコン2台買ったりとか。)ローンを組む覚悟でいたところ、車をキジャンではなくアバンザにすれば、何とかローンを組まずにすむことが判明。売却の事を考えるとキジャンの方が確実、という話もあったが、ローン組むのはちょっと・・・

それで、確か100万ちょっと円でアバンザ新車を購入。

そして、3年間お世話になった愛車の査定は・・・96ジュタルピア。

思ったより高額で、やった~!!今は円高だかで、ルピアから円に換えるのは損なんだそうだが、その目減り分を補ってもまだ余りある査定額がでたので、チョーうれしいです。スピルさん、後1ヶ月半安全運転で頼むよ。ここで、大破してくれたら、泣くに泣けんぞよ。

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おこちゃま美容室

Photo 今は、日本でもこんななんでしょうか?私の住んでいたところでは、こんなのありませんでした。

好みのブーブーに乗りながら、ビデオを見ながら・・・スゴイですね。

そういえば、当時小学4年生だった、友人のお嬢さんの話。ついうっかりビデオに夢中になっていて、フと鏡の我が姿を見てみれば、あんなに「前髪は短くしないで!」と言っておいたはずなのに、ちょんちょんに切られ、ビデオに夢中になっていた事をとっても後悔されていたそうです。

設備はすごく立派でも、技術はそれなりですね。

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バンドンでテー・タリック?

ジャカルタには結構ペルシャ絨毯やさんを見かける。バンドンでもしかり。やはりイスラム教つながりか?そんなわけで、パキスタン人もときた~ま見かける。

ひょんな事で、パキスタン人の友だちができた。「テー・タリック」を御馳走してくれるというので、いそいそと出かけた。

Photo_5 牛乳を鍋に入れ紅茶葉を直接放り込む。水を牛乳の3分の1ほど足す。砂糖も好みの量を放り込む。沸騰させながら、カップで紅茶をすくい、上から鍋に注ぎ戻す。茶葉を越してできあがり。

Photo_6 おいしいです!

Photo_7 このあと、続々パキスタン人がやってきて、みんなで会食。パキスタン料理、どれもおいしいです。

帰国が近づき、ますます大胆になってきた私・・・

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バンドンでキムチ作り?

バンドンには、沢山の韓国人が住んでいる。「コリアンマート」という韓国食材専門店もあるくらいだ。日本食コーナーもある「トコ・ステアブディ」には、韓国コーナーもある。

そんなこんなで、韓国人と知り合うこともある。私たちは、姿形が似ているからか、西洋人より親しみやすい、気がする。過去の悲しい史実があるにも関わらず。

最近親しくしている韓国人にキムチの作り方を教えて頂いた。その前には、プルコギやビビンバも教わっている。ものすごく自国の食に自信とプライドを感じる。

Photo_3 これが材料となる白菜。塩をして、それをさらに塩水につけておき、しんなりさせます。

Photo_4 しんなりした白菜に、赤唐辛子やニンニク、ニラ、ネギ、餅米粉を水で溶きの火を通したもの(これを使うとサワーなキムチになる)、カキエキスなどで作った、いかにも辛そうなヤツを絡めてできあがり。

しっかりマスターして帰るぞ!

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秋篠宮ご夫妻来イで思い出したこと

日イ友好年開幕に先立ち18日、秋篠宮ご夫妻が18日午後5時20分スカルノハッタに到着。お二人は友好年の名誉総裁として、今後も活躍が期待される。19日のジャカルタ新聞は大きく報道、さらに、カラー刷りで特集を発刊。

全然関係ないけど、この記事を見ていて、3年前の小泉首相来イの時を思い出した。このときは、バンドン会議50周年記念がバンドンで開催され、私たちは日の丸を手に、旗振りに空港までぞろぞろ出かけたのだった。

Photo Photo_2 厳重な警備体制の中待つことしばし。予定では、小泉さんは車で通りすぎるだけ。運が良ければ、車を止めて、手を振ってくれるかも・・と聞いていた。

ところが、車を降りて、握手や記念撮影をしてくれるというサービスぶり。

一挙に小泉ファンが増えたこと間違いなし。

当時の校長先生は、こっそり用意しておられたバンドン日本人学校の冊子を手渡されていた。そのころ、児童の減少が激しく教員も減という厳しい状況だったため、「バンドン日本人学校こんなに頑張ってるんですよ。この子たちのため、よろしくお願いしますよ。」と。

今となっては懐かしい想い出。

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インドネシアでスケート

Photo ここはBIP(バンドン イスタナ プラザ)というショッピングモールの中。スケートリンクです。私は、レストランで食事をしながら、この写真を写しました。手すりの掃除をしている人もいますが、結構みなさんスイスイでした。コーチについて習っているお子様もいました。コーチはもちろんインドネシア人です。

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結核

昨夜NHKで、結核をテーマに放送されていた。

感染と発病は違うんだね。日本では今、4人に1人感染または感染の疑いがあるそう。エー!!と思ったけど、感染しているだけで、菌自体は眠っているそう。

そして、怖いのは、何かのきっかけ(=体力がおちるとか)で、眠りからさめ、活動をはじめる、ということ。

怖いのその2は、発病しても、薬を飲めば2週間で見かけは収まるってこと。治ったかのように元気になるけれどもまだ菌は生きていて、そこで薬をやめると、その菌はその薬に対し耐性を持つようになる、つまり、もうその薬では治らなくなる。だから、一旦発病したら、副作用もある薬を最低9ヶ月間飲み続けなければならないそう。

なぜ、こわいか・・・

それは、インドネシアでは、まだまだ結核はポピュラーな病気だから。多分その辺に一杯結核発病者がいるんじゃないかな。そして、彼らは、貧しいから、病院に行ったとしても、そう長く薬を買い続けることは出来ないだろう。治ったかのように見える2週間で薬はやめちゃうんじゃないか。。。怖い耐性菌。

そして、たとえ3年間とはいえここに住んでいた者は、感染している可能性ありじゃないだろうか。今はまだ(かろうじて)若く体力もあるから、菌は眠っているけど、やがて年をとって体力が落ちてきたら、もしかしたら発病するかも。

いたずらに怖がる事はないが、インドネシアに住んでいたということは、こういったリスクを抱えているんだって事を忘れずにいなくては。

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ユニ・チャームインドネシアその2

ユニ・チャームといえばマミー・ポコ。

私が子育て開始頃は、まだまだ布おむつが主流だった。「紙おむつを使うと、おむつ離れが遅くなる」とか、果ては、「紙おむつを使って育てると頭が悪くなる」とか、いろいろ言われたモンだ。

オーラン・トゥアと同居していた私は、すっかり布おむつ派だった。紙おむつを使うと楽だろうなあ、と思いつつ、それでも毎朝おむつ干しの・・・なんて言うんだろ、カサの軸だけみたいなヤツ・・・が1周するほど干すと不思議な満足感があったりして、そんなことがささやかな楽しみだったりした。(=決して育児ノイローゼとかじゃあないですよ)。

外出の時だけは、紙おむつをつかっていたかな。今はどうか知らないけど、当時は、ゴミの分別で、紙おむつの処理があやふやだったな。多分それも、私が紙おむつを使わなかった原因かも。

で・・・話をインドネシアに戻して。現在インドネシアでは、紙おむつはどの程度普及しているのかな?

『Wish』1月号によると、「ユニ・チャームインドネシアの調査したインドネシア家庭での紙おむつ使用率はわずか20%。日本ではほぼ100%」「タイは52%、フィリピンが81%、マレーシアは98%だから、いかに紙おむつ文化の浸透が低い国か分かる。」

「ちなみに、1ヶ月の使用枚数は日本が平均140枚、インドネシアはたったの20枚。ほとんどは外出する時限定の『おでかけ用』として使われる一方、外出時さえ、使用しない人が過半数を占める。」

なぜこんなに使用率が低いのか?

「同社では、インドネシアの所得の低さが紙おむつの市場浸透を拒む最大要因と分析。」市場調査を重ねた結果、見えてきたものは、外出時の不満。「外出した時のおむつ交換は決して衛生的とはいえないモールなどのトイレで行われる。その時オープンタイプだと子どもを寝かせる必要があり、強い不満が存在した。」

そうした調査をふまえ開発されたのが、「マミーポコパンツスタンダー」「基本機能に特化し、無駄を徹底的に省いた」「一枚あたりの価格は『プレミアムタイプ』より約4割安いRp1900(Lサイズ)」

だそう。それでも、こちらの給料を考えると、一般庶民には痛い出費にかわりないだろうな。

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鳥インフルエンザ

NHKで2夜、鳥インフルエンザの番組が放送されていた。

一夜めは、人から人に感染する毒性の高い新型H何とかが日本で発生した、という想定でのドラマ。

2夜めは、現状のレポート。

このレポートの出だしは、インドネシア。

事例もインドネシア。

は~、そりゃそうなんだろうなあ。世界一の感染者、死亡者を出しているもんなあ・・・それにしても、改めて感じたのは、インドネシア政府は、これだけの感染者を出しておきながら、とくに対策をこうじていない、ってこと。ジャカルタ特別州では鳥の飼育を禁止して一定の効果が出ている、と聞いたことはあるが、一歩カンプンに入ると、鶏なんて、うじょうじょお散歩してるし。日本人学校にだって、お散歩に来てるし・・・。

私も、感覚がマヒしてきていて、新聞で、「鳥インフルエンザで死亡」、という見出しを見ても、「あ・またか」と思っている。実際バンドン市内の病院ででも死者は出ているというのに。

今日何人かの日本人と。話をした。

「もし、(あっては困るけど)インドネシアで人から人へ感染する新型鳥インフルエンザが発生したら、私たちはどうなるんだろう。」

「日本に緊急避難させてもらえるんだろうか?」

「そりゃあ、スマトラとか別の島だったら帰らせてもらえるよね。」

「でも、万が一、潜伏期間であることを恐れて受け入れてもらえないかも。」

「発生地がバンドンだったら(帰国は)絶対ムリよね。」

感覚がマヒし、危機感を失っていた私たちインドネシア在住者に、改めて、危機感をもたらしてくれた番組であった。

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日本インドネシア友好50周年

インドネシアで迎えた3回目のお正月。といっても、今年は旅行に行っていたので、年末年始の体験はできませんでしたが。

2008年は、日本とインドネシアが正式に国交を樹立してからちょうど半世紀という記念すべき年!

17日には秋篠宮ご夫婦が来イされるという。皇室が来イするという事実は、私が思う以上に、インドネシア側にとっては意味がある(光栄、日本はインドネシアをそこまで大切に思ってくれるのか)と感じる。

歴史をたどれば、

1942年2月、日本軍はオランダに植民地支配されている島々(=現インドネシア)に進攻撃。3月初旬東インドは日本の支配下に。

*1945年3月、日本軍の指導により独立準備委員会発足。8月15日日本敗戦。2日後の17日、スカルノ、ハッタらは連合軍の許可無く独立宣言発表。しかしその後独立戦争に発展。

1949年、植民地支配に対する国際的非難などにより、オランダは余儀なく和平受諾。

1950年、ハーグ円卓会議により、正式に独立を獲得。

1962年、西イリアン奪回、インドネシア共和国樹立。

*の1945年8月16日、そして、独立戦争・・・このあたりは、国と国の関係より、一人の人間として、インドネシアと関わった日本人が多くいた。そのことにとても興味を感じる。

16日深夜、独立宣言文の最終的な推敲、修正は、元日本海軍将官、前田ただし邸で行われたという。

又、その後、独立戦争に突入した際、インドネシア軍と一緒にオランダと戦った元日本兵たち。日本帰国後戦犯として裁かれるのを恐れた、といういかにも人間らしい理由や、インドネシア人に請われて戦った人もいるそう。

彼らは、ジャカルタのカリバタ英雄墓地に眠り、また生き残った人はインドネシア国籍を与えられ、この墓地に埋葬される事になっている。

そして、毎年8月17日の独立記念式典では、インドネシア人男女2人と日本軍の恰好をした計3人で国旗掲揚される。

インドネシアは、日本が侵略した歴史が残る国々の中でも、かなり友好的な国の1つである。

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ユニ・チャームインドネシア

ユニチャームと言えば、女性用の生理用品。海外赴任が決まってネット検索して知った事は、「日本の生理用品はNO1.引っ越し荷物の隙間ウメには、ナプキンで!」というもの。アドバイスに従い、ばらしたナプキンを隙間ウメに使いました。

・・・これ、正解でした。こちらの生理用品は、ティダッ チョチョックです。メーカーは日本のユニチャームなのになんで?と不思議に思っていたのですが、『Wish』1月号の記事を読んで納得。

ここにもクブダヤアンの違いが!「女性が使用した後のナプキンを洗浄してから捨てるというイスラム教圏で時折見られる習慣」「自分の血液をそのまま捨てるのは、たしなみとして良くないというのが理由で、今の時代も90%以上の女性がその習慣を守っているという。」

そのため、ユニ・チャームインドネシアでは、表面には水で洗っても破れにくい特殊なシートを用い、内部の成分にも高分子吸収体は使用していない。高分子吸収体の代りにパルプを多めに使っている・・・分厚くなるわな。蒸れてかぶれるわね。

日本では、より薄い、より軽いが主流。しかし、インドネシアでは、求める物が違う。

「決して時代的に古いものをつくっているのではありません。この国の人がほしい物を、ワルンからスーパーまで、どこにいっても買ってもらえるよう並べることが大事なんですけど、これって結構、地道なものなんですよ」

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引っ越し準備

本帰国の日はもう決定している。3月17日。あと2ヶ月。

先日我が家に来られた方が、家の中をざっと見回して、「わー、まだなんにも準備にかかっていないんですね。」とちょっぴり驚かれた。

そのとおり。だって、引っ越し業者を使うし・・・。国内の引っ越しをしたときは、経費削減のため、業者さんは荷物をトラックに乗せ替え運ぶだけとし、梱包は全て自分でした。結構大変だった。こちらでは、梱包も全てしてくれるのだそうだ。当日までに、どれを運んでもらうかきめておくだけでいいそう。おおまかに、「この棚のものはお願い。」「この部屋の物は、これとあれ以外お願い。」とそんなんでいいそうだ。楽勝~。

先日取ってもらった見積書がEメールで送られてきた。4.5立方で1,980.00ドルだそう。20万円ちょっと。普通は、何カ所か見積もりをとって、値段交渉をするそう。

だが、しかし、私が思うに・・・

そもそも見積もりの4.5立方だって、結構おおまかだから、あまりあてにならない。

また、1立方の値段は業者Aのほうが仮に安くても、業者Aはもしかしたら、梱包や荷詰めでムリとカサを多くするかも知れない。もう少し工夫したらカサ低くなるのに・・・という感じ。(そういえば、見積もりに来た人は、食器を持って帰ることを結構薦めてくれた。それって、かさ上げだよ、きっと。)

・・・ていうわけで、結局見積もりなんて、あくまで見積もりで、私はあまりアテにしていないのです。まあ、20万円程度なら、妥当かな、という位に思っているのです。

でも、準備は余りしないけど、当日は、カサ低くなるように、目を光らすつもり。キラ~!

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EMSその後

Bandung

40000

2008-01-07

15:27

Posting/Collection

JakartaSoekarnoHatta 19000

2008-01-07

19:18

Departure from outward OE

JAPAN

JP

2008-01-10

13:43

Arrival at inward OE

JAPAN

JP

2008-01-10

13:44

Held by Customs

JAPAN

JP

2008-01-10

15:45

Departure from inward OE to JP Adpis : INB

JAPAN

JP

2008-01-11

02:21

Arrival at delivery office

JAPAN

JP

2008-01-11

11:11

Final delivery

・・・というわけで、11日に無事届きました。

よかった~!!!

こんな当たり前のことに、感謝感謝です。

ちなみに、インドネシアでは、携帯のSMSで問い合わせることも出来ました。

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エイズ

昨日、EMSのことが話題になっていた某掲示板に、エイズのことも話題になっていた。かなり大きなツリーになっていた。

恋人がジャカルタに赴任したという女性が、インドネシアの「カラオケ屋」の実態を質問されたツリーが1つ。夫さんのインドネシア赴任に付いてきているニョニャさんの「ニョニャの本音」として、接待と称し「カラオケ=桶屋」に行っている夫さんへの想いをつづられたツリーが1つ。すでに日本に帰国されているご家庭のニョニャさんからのツリーが1つ。

どれもこれも、東南アジア赴任に付いてきたパートナーとしては、耳を覆いたくなる。しかし、これが、実態なのだとしたら、私は、すごく悲しい。

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EMS

本帰国前に娘たちに遊びに来るよう誘った(=かなり強引)ところ、春休みに来ることになった。とはいえ、下の娘のパスポートは期限切れ。再度申請しなくてはならないが、未成年のため「親の同意書」が必要。昨日EMSで送った。EMSといえどもちゃんと届くか、もっのすごく心配。

日本では考えられないことだが、「郵便物は届いて当たり前」というという神話はインドネシアには無い。エアーメイルで送っても、早ければ5日程で届くこともある。それなのに、2週間もかかることもある。まれに、届かない事もある。

EMSだって、「2日で届く」と郵便局員は言っていたけれど、某掲示板では、「EMSがまだ届かない」ということが、つい先日話題にあがっていた。すっごく心配なので、今日は、又別便で今度はエアーメイルで送ってきた。

こういうところが、疲れるんだな、インドネシアは。(=その前に、こんなにギリギリにパスポート申請するものが悪いんですが)

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パースの暮らしとインドネシアの暮らし

Photo Photo_2 旅行で1週間足らずの間滞在するのと、そこに住むのでは見えてくるものが違うのは理解できる。

3年間、パースに住んだ夫の友人。3年間、バンドンに住んだ私たち。海外に住む、というかけがえのない体験は同じでも、パースとバンドンでは随分感想は違うだろうな。

彼のパートナーさんは、週2回習い事をし、間の日は郊外まで食料の買い出しやハウスキーピングをして暮らしているそう。ゴミの出し方1つとっても全く違う外国で「主婦」をするのも、楽しい異文化体験だな。(・・・ちなみに、こちらでは、ゴミは、全て一緒くた。全て埋め立て。土地が広いからね。・・・でもちょっとビックリ)

特に現地の人とつきあいはないそう。子どものいる家庭は、子どもを通じて交流もあるそうだが。物価が高く、そうそうランチも出来ない。旅行もしかり。それでも、日本の貯金は目減りしていっているという。

治安は良いとはいえ、夜間の外出は控えているそう。私たちがパースに着いた日、日本人のワーキングホリデーで来ている女の子が殺されたという。車泥棒もしょっちゅう聞くって。ほとんど路上駐車の人のだけど。でも、まあ、普通に注意していればそれほど心配は無いとのこと。日本人はカネを持ってると思われてるけど、特に、日本人をねらう事件は無い。

現地の人はフレンドリーにつきあってくれ、差別とか戦争の傷跡はもう引きずっていないように感じるそう。ただ、なんだったかの記念日だけは、やはり、日本人は外出を避けているそう。

全体として、彼は、ここの生活を気に入っているように見えた(そりゃそうだろう)。私たちも、アルバムを持っていって、インドネシアの紹介をしてあげたが、彼の目には「同情」っぽいものを感じた。インドネシア人に対してでなく、私たちに対して・・・。彼の目には、カフェとは全く違う様な、ワルンで食事をする私たちの姿は「同情」の対象に写るのか。穴ぼこだらけの歩道や、バイクうじょうじょの道も、しかり。住んでみれば、たいしたこと無いし、生活感があって、結構好いもんだよ、とはとうてい理解出来ないようだった。

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パース住宅街

Photoパースの町はどこもかしこも、ビューティフルだ。スワンリバー、キングスパーク、中心街・・・そして、住宅街も。

道は広々としていて、空気はカラッとしていて、空は抜けるように青く、気分も陽気になってくる。こんな広くてガラスキの道なら私だって運転できそう。右ハンドルだし。美しい景色の中を、気ままにドライブ!これこそ、インドネシアでは決して出来ない事。市内は無料バスが10分おきに4コースに別れて走っているし、鉄道も充実している。

ただ、物価は高い。ちょうどクリスマスバーゲンの最中だったけど、結局私は何も買わなかった。だって、高すぎ。バスで30分ほどの港町から高速フェリーで1時間ほどのところのロットネスト島に行くのも、往復70ドル(7000円)@1人とは驚き。

街はカフェであふれかえっている。朝食や昼食は、カフェでサンドイッチと飲み物を買って、その辺で食べてる人がとっても多い。インドネシアでいうところのワルンみたいなもんだな。でも、値段が違うわ。パースでは、そんなんでも、10ドル近くするもの。レストランに入った日には、グラスワインを入れて、25ドル@1人は最低でもいるよ。

食べ物も、まあ、おいしいけど、毎日高級レストランで食べてるわけに行かず、さて、スーパーで買い物しても、「オーストラリア料理」って、「・・・」んだそう(夫の友人いわく)。確かに、3日もサンドイッチやスパゲッティ食べたら、もうチュクップ。四日目からはアジアン風カフェでフォーを食べに通った私。夫も、毎日やったら、アジアンのがいい、と言う。フォーだってビッグサイズ(しかない)で10ドルするよ。

飲み物では、コーヒーはパースの方が断然私好み。ワインは、1ボトル20ドルまでで買えるかな。普段のためのなら10ドルくらいで買える。レストランではグラスワインはだいたい6.5ドルだったな。ビールもいろんな銘柄が飲める。飲み助にはもってこい。でも、飲まない私には、「生ジュース」がないのが悲しかった~。仕方なく、(!)ワインをのんでました~。

ゴルフは安いです。キャディーをつけると跳ね上がるけど、プレイ代だけだとハーフで20ドルほど。夫は、たったの6日間の滞在で、2回もハーフをまわってきました。

Photo_4

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パース日本人学校

Photo 夜中の2時半頃帰宅しました~。帰国が決まり、何となく浮き足立ってるかも・・・インドネシアのお隣の国、オーストラリアに、行ってきてしまいました。一度は行ってみたいと思っていたけれど、予算の関係でなかなか踏ん切りが着かなかった、オーストラリア旅行。でも、もう最後だし、思い切って行ってきちゃいました。飛行機に乗ることたったの6時間。時差があるから実際はもっと短いデス。

今回の旅行の目的の1つ、「パース日本人学校」見学。

Photo_2 こ・これが、校舎・・・ですか?バンドンの方がずっとステキだよ。これってプレハブ?今日のパースの気温は40度近いよ。おそるおそる、中に入らせてもらう。Photo_3

オー、中は教室らしくなっているじゃない。早朝ということもあり、室温も想像したほど上がってない。

パース日本人学校もバンドンと同じく30人ほどの小規模校。日本人はバンドンより多いが、ここは英語圏、現地校に通う日本人が多いという。逆に、永住組さんが、日本語の習得保持のため、(小学部の間は)来られるとか。

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